毎日続いている厳しい暑さのことを、暦の上では『残暑』と呼ぶ季節になってきた。名称が変わろうと暑いことに変わりはない。こんなときはやはり下半身水着で過ごすに限る。フィールドチュニカも風通しが良くてお気に入りだ。これまたお気に入りの、ゴブリンを模した帽子はどんなに暑くても身につける。

 この格好で街中を歩いていると、通りすがる人にじろじろと見られることがままある。流行の最先端を行く俺のファッションに、皆見惚れてしまっているのだろう。美貌は罪、か。

 しかし、いらないものまで引きつけてしまって、今まで何度恐怖に怯えたことだろうか。記憶が甦る。以前50人のギャルカに追いかけ回されたときは、さすがにスーパーナイトの俺といえども死を覚悟したものだ。

 そう、人は俺をスーパーナイトと呼ぶ。普通のヒトとは違う星のもとに生まれてきたのか、どうも俺の周りでは奇々怪々な出来事が多発する。それ故、世の人は畏敬の念を込めて俺をそう呼ぶようだ。スーパーナイトという呼び名には「近寄りたくない」という意味が込められていると聞いたこともあるが、おそらく「近寄りがたい」の聞き間違いだろう。

 

 

 今、俺はプルゴノルゴ島に休養に訪れていた。海岸に座り、水平線に沈んでいく夕陽を、一人眺めている。

 「朱いな……」

 思わず呟いていた。ため息も漏れる。

 俺は疲れていた。肉体的にも、精神的にもだ。

 最近、知名度が増したせいか、比例的に押しかけてくるギャルカの数も増えてきた。先日など、狩りの最中、シーフさんが釣ってきたモンスターの後ろに、まるで背後霊のように付き従うギャルカの姿を目の当たりにした俺は、脇目も振らずとんずらをこいた。あの顔は正気じゃなかった。涎を垂らし、口角を吊り上げた恐ろしい笑みを浮かべながら突進してくるギャルカ。サポシでよかったと、あのときばかりは心底そう思ったものだ。

 俺はいつまで逃げ続けるのだろう。こんな生活は良くも悪くも長続きはしない。いずれ決着がつくのは明らかだが、それは俺が彼ら(彼女ら?)に捕らえられたときだろう。そのとき、俺は一体どうなってしまうのか。頭から喰われるか。それならまだマシかもしれない。もしかしたら────

 日が暮れたとはいえ、島はまだうだるような暑さに包まれているというのに、俺は考えるだけで身体が震えてしまっていた。

 「怖い……」

 俺は両腕で抱えた膝の間に顔を埋める。

 そのときだ。後ろから声が聞こえてきたのは。

 「どうしたの君?」

 「ギャアア!!?」

 「ひゃっ!?な、何?」

 身体が飛び上がる。俺は即座に奴らだと思った。ここまで追ってきたに違いない。俺は必死で逃げ出そうとした。

 「あ、あの。ねえちょっと、君?」

 奴らがまた声をかけて──って、ちょっと待て。奴らはいつの間にこんなに女らしい声になったのか。もっと野太い声だったはずだ。そもそも、これから襲う相手にわざわざ声をかけるだろうか。

 ──奴らではない、のか?

 俺は恐る恐る振り返った。

 「君、だいじょうぶ?具合悪いの?」

 そこにいたのは、種族装備姿の見目麗しいミスラの女性だった。

 

 

 「そっかぁ。君もタイヘンだったんだね」

 気を取り戻した俺は、彼女と一緒に砂浜に座っていくつか話をした。俺たちはほぼ沈みかけながらもなおわずかに顔を出している夕陽を共に眺めていた。

 俺の身の上話をすると、彼女は心から同情してくれているのか、俺の背中をさすりながら「頑張ったね」と言ってくれた。不覚にも涙が出そうになった。

 彼女も一人でプルゴノルゴ島へ来ていたらしい。クエストか何かか、と尋ねたら「ううん。ただ単に来てみたかっただけ」と、微笑みながら答えてくれた。だが、次には表情を少し曇らせてこう言った。

 「でも、一人でくるべきじゃなかったな、ってちょっと後悔してたかな」

 「何故?」

 「ここ、すごく景色がいいじゃない。独り占めするのはもったいないなぁって思ってね。誰かとこの感動を共有したかった。……だから、君がいてくれて嬉しいな」

 終わりの言葉に、彼女は眩いばかりの笑顔を添えた。

 「君も、感動してる?」

 「──ああ。もちろんだよ」

 「えへへ、よかった。あたしだけじゃないんだね。今、あたしと君は、同じ景色を見て、同じことを考えてるわけだ。……うわぁ。なんか照れちゃうね」

 自分で言ってて恥ずかしくなったのか、彼女は頬を染めている。俺もつられて顔が赤くなった。

 俺と彼女は一緒に座って海を見ながら、たわいもない話をした。危険な旅の話、クエストの依頼主に翻弄された話など、様々なことを。俺がスーパーナイトとしての本領を発揮して大活躍したときの話をしたら、彼女はその表情をころころと変えて笑いながら俺の話に耳を傾けてくれた。

 いつしか太陽は全て沈み、真紅の世界は次第に紫紺のそれに取って代わられていった。それでも、俺たちは一緒にいた。どちらかが「もう帰るね」と言ってしまえば、ここで別れてしまえば、もう二度とこの(とき)は訪れないと彼女も感じていたようだった。

 「あのね」

 「ん?」

 彼女が口を開いた。

 「実を言うとね。あたしも、ここに来たのは君と同じような理由なんだ。なんだかちょっと疲れちゃって。あくせくと生きることにね。要するに逃げ出したかったのね。いつもと違う場所に行って、心に休暇を与えたかったの。そうすれば、また頑張れると思って。……でも、ちょっと手遅れだったみたい。ここに来て一日ぼーっと過ごしてみたけど、あたしの中のもやもやしたものは消えてくれなかった。それどころか、考えれば考えるほど、今まで形のなかったそれが徐々に輪郭を取り戻していって──。そのとき、気付いたの。ああ、あたしは、自分一人の力じゃもう後戻りできないところまで、知らない間に来てしまっていたんだなって。……だからね。もうそろそろ潮時かなーって、考えてたんだ」

 「潮時って──」

 「冒険者をやめて、足を洗うってこと」

 彼女はやや俯き、寂しげに笑いながらそう呟いた。

 俺はあえて何も言わなかった。彼女の薄紅色の唇が、次の言葉を紡ぐために開かれるのを待った。

 「でも……」

 ぱっと顔を上げる彼女。その笑みが、月華に映える。

 「君と話してたら、いつの間にかそのもやもやが消えてたんだ。この人はなんておもしろいんだろう、ここで会えて良かったな、冒険者やってて良かったなって思ってたら、気付いたときには自分が何で悩んでたのかもわからなくなってた。こんな出逢いがあるなら、まだ冒険者続けてもいいかなって。えへへ、あたし、もしかしたらとんでもない単細胞なのかもね」

 はにかむように笑う彼女に、俺は静かに首を振った。

 それからしばらく、何も話さないまま、ただ彼女と共に星を眺めた。いつしか、彼女の頭が俺の肩にもたれかかっていた。彼女の耳が時折ひくっと動いて俺の顔を撫でる。彼女の左手と俺の左手は堅く結ばれ、右手は彼女の腰に回っている。鍛え上げられた身体にほんのりと乗った脂肪が、女性特有の柔らかさを演出していた。

 潮風が鼻をくすぐる。同時に、彼女の髪が風にはためいた。

 彼女の方に目をやった。エルヴァーンの俺とはかなりの身長差があるため、座っていても見下ろす体勢になってしまう。

 彼女は前を向いたままだった。長めのまつげが二度、三度と瞬きを繰り返す。

 ふと、胸元に目がいってしまった。褐色の肌はとても健康的だ。小柄な身体に似合わず豊満な彼女の胸は、身体を覆う面積の小さい種族装備からはこぼれてしまいそうだった。

 彼女はこちらの動きに気付いたのか、こちらを見上げた。目が合う。何故俺が狼狽えているのかわからなかったようだが、一度自分の胸元に視線を落とすと、俺が見ていたものに気付いたようだった。

 「……えっち」

 両手で胸元を隠す仕草をしながら彼女は上目遣いでこちらを睨み、口を尖らせた。

 ばつが悪くなって視線を逸らす。だが、その眼差しは柔らかく、語気にも怒った様子はない。どことなく微笑んでいるようにも見えた。

 でも、本当に怒ってるかもしれないから、ちゃんと謝っておこう。

 「ごめん。その……つい」

 「ふーん。まあ君も男だもんねー。しょうがないよね」

 彼女は依然口を尖らせながら横目でこちらを見ている。そう言われてしまうと急に気恥ずかしくなってきた。

 「あ、そうだ」

 彼女が急に声をあげた。心なしか、笑みに邪悪なものが混じっているように見えるが──

 「何?」

 「ていやっ!」

 「は? うわっ!?」

 彼女に突然突き飛ばされた。突然のことに、俺は抵抗もできず砂浜に仰向けに倒れ込む。俺が身体を起こす前に、今度は上にのし掛かってきた。腕を押さえつけられる。

 「な、何してんの!!」

 「ねえ、そんなに気になる?」

 「──え?」

 彼女の顔が間近にあった。髪が垂れ下がっている。ほのかに石けんの香りがした。

 背後の天球に張り付いた月が、中空まで昇っているのが目に入る。今夜は満月だったようだ。大きな、丸い月が辺りを明るく照らしている。

 「あたしのカラダのこと気になる? あたし、魅力あるかな? あたしのこと見て、どきっとする?」

 ──これは、からかわれてるだけだ。

 そんなことはわかりきっている。わかりきっているはずだ。──だが。

 吐息を感じられるほどそばに目も眩むような美人がいて、その人が妖艶な微笑を浮かべながらこんな台詞を吐いている。

 これで動揺しない方がどうかしている。

 俺の身体を跨いでいる艶やかな太股、大きく露出している腹部、顔のすぐ近くにある胸、やや上気しながら妖しげな表情を浮かべている顔──。全てが露骨に俺を誘っているように見える。

 ごくりと生唾を飲んだ。拘束されていた腕はいつの間にか自由になっている。

 右手で彼女の顔に触れてみる。軽く髪をかき上げてみた。手の中を流れた髪はすぐさまはらりと落ちて元の位置に戻る。彼女に嫌がる様子はなかった。妖しく微笑んだままだ。左手を彼女の腰の辺りに持って行く。くすぐったかったのか、触ると彼女の腰がびくっと動いた。しなやかな弾力が手に伝わる。腰だけではない、尻、胸、腹──全身の丸みを帯びたラインがとても艶っぽい。

 膝立ちだった彼女は体勢を変え、完全に俺の上に乗りかかった。彼女の弾力を全身で感じる。豊かな胸は俺の身体に直接押しつけられ、その形を歪めている。視覚と触覚の両方から責めるそれはとても凶悪的で、そして、魅惑的だった。

 彼女の顔が更に接近している。顔に触れたままの右手で、自分の方に引き寄せてみる。

 すると、彼女は静かに目を閉じた。瑞々しい唇が目に入る。

 互いの顔と顔、唇と唇の距離がとても近い。彼女の呼気を感じるほどだ。やや荒くなっている呼吸を感じる。

 俺も目を閉じる。

 大丈夫、誰も見てやしない。ここにあるのは月くらいだ。あとはこのまま、流れに身を委ねよう──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「──って、夢オチかよっっっっ!!!!!!」

 くそ、これからがいいところだったのに。

 だが、なんだろう。夢にしては、最後の感触が非常にリアルだった気がする。それに、違和感があった。感覚が映像とマッチしていない。彼女はあれほど瑞々しい唇だったのに、何故──

 「うふ。もう、ダーリンったら、ゴ・ウ・イ・ン(はぁと)」

 動きが止まる。脊髄の中でブリザガを炸裂させられたような寒気が襲ってくる。

 「可愛い寝顔だと思ったら、急になんだもん。朝からお盛んなんだからん」

 油の切れた機械のような動きで、ぎこちなく首を上げた。

 「でも、大胆な人って、す・き(うふん)」

 

 「ギャアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!???!??!!?」

 

 さきほどの違和感が口元に再度甦る。

 ──あれほど瑞々しい唇だったのに、何故、あんなにゴツゴツした感触だったのだろうか──

 ベッド脇には、ギャルカの姿があった。頬を染めている。やめてくれ。

 「ま、ままままさか、さっきの感触は……!?」

 「ウフ」

 目の前が真っ白になっていく。どうやら、俺の悪夢は、これから始まるらしい────