〜第28回 墓標〜



翌日の昼下がり、私たちふたりは、ユタンガの森に抱かれた美しき渓谷
“隠れ谷”を抜けて、海蛇の岩窟に至った。

その名のごとく長く曲がりくねった洞穴を進んでいくと、やがて、
どこからともなく潮の香りが漂いはじめた。

目的地は近い。逸る気持ちを落ち着けようと立ち止まった時、
前を歩いていた娘も、ぴたりと足を止めた。

「ノーグはこの先よ。・・・・・・捜し人、見つかるといいわね」

彼女が壁面に手を触れると、その一部が低い音を立てて開いた。奥には
新たな道が続いている。私は小さく2度うなずき、その先へ足を踏み入れた。

「じゃあね。アタシはもっと置くに用があるから、ここでお別れ。
なんだかんだで楽しかったわ」

「君がいなければ、ここまで来ることはできなかった。感謝しているよ。
心から・・・・・・」

彼女が返事代わりに微笑んだ時、ふたりの間で扉が閉ざされた。最後に
見た彼女の瞳は、その笑顔とは裏腹に、静かな悲しみをたたえていた。

取り残された私は、しばし迷った末、娘の後を追うことに決めた。
なぜだか、彼女の眼差しが脳裏に焼きついて離れなかったのだ。

扉をこじ開けて、娘が向かったと思われる方へ走っていくと、いつしか
私は袋小路に迷いこんでいた。辺りを探してみても人の気配すらない。

時間にして数分の遅れ。追いつけなかったはずがない。どこかに別の
隠し扉があると見当を付けた私は、冷たい壁面を当てずっぽうに叩いて
回った。すると、不意に壁面の一部が左右に開いた。

そこから奥へと延びる道で、私は娘の姿を見つけた。

薄闇の中で、怪しく揺らめく篝火。

その緋色の炎が、彼女の立ち姿を

はかなげに浮かび上がらせている。

あの豪快な船長とは、まるで別人

ではないか。私は、娘に歩み寄り

ながら、ふとそんなことを考えた。


「やあ。その・・・・・・、また荷物運び
でも手伝おうかと思ってさ」

隣にしゃがみ込んだ私に、彼女はうつむいたまま、つぶやいた。

「・・・・・・おかしなヒトね」

傍らに荷物を下ろして顔を上げると、目の前に石を積み上げて作られた、
小さな塔のようなものがある。

不思議に思いながら、それを眺めていた時だ。どこかに風穴でも空いてい
るのか、篝火が生き物のように身を躍らせて、塔を照らした。正面に文字
が刻まれていることに気づいた私は、それを確かめようと顔を寄せた。

「誰よりも・・・・・・海を・・・・・・愛したミスラ・・・・・・」

私が途中まで読み上げた時、娘が両膝をついて座り、文字を覆っていた砂
埃を払って、続けた。

「・・・・・・ここに眠る」

ようやく事実に気づいた私は、思わず彼女の顔を見た。

「身寄りのないアタシを、実の妹

みたいにかわいがってくれたひと

だったの。娘を産んでからは、そ

の子のために毎日働き詰めだった

わ。けど・・・・・・、ある朝、大しけの

海に出たきり帰ってこなくてね」



彼女は、息苦しそうに胸元に手を
当てて、話を続けた。

「結局、船は・・・・・・、何日か経ってから、この近くの岸辺に漂着したの。
主人の小さな亡骸を、やさしく守るようにして・・・・・・。その船が、ゴールデン
ポニート号よ」

一瞬、全身が凍りつくような感覚に襲われた。彼女は、どんな思いで、
あの船の舵を取り、あの海峡を渡ったのだろうか。

「残された子はね、“お母さんは遠くの海で働いているんだ”って
思い込んでる。今日で丸3年になるのに、アタシ、まだ本当のことを言ってないの。
言えなかったのよ・・・・・・」

尋ねるまでもなかった。カザムで見た、あの無邪気な少女たちの中に、
亡きミスラの忘れ形見がいたのだ。そして、隣にいるこの娘は、母親に
代わってその子を守り続けてきたのだ。何ひとつ本当のことを言えないまま
・・・・・・。

「けどね、いつかはあの子に本当のことを話すわ。それから、船を返し
て、このお墓もカザムに・・・・・・。ダメ。“いつか”じゃダメなのよね。
いっそ今夜にでも・・・・・・」

彼女の言葉は、そこで途切れてしまった。いざとなると、不安でたまらな
いのだろう。私は、カザムを駆け回っていた少女たちの姿を思い出しながら、
娘に言った。

「その子は、きっと大丈夫さ。だってカザムの女だろう?それに・・・・・・。
君がいる」

彼女は「ありがとう」とつぶやいたきり、少しの間黙っていた。そして、
唐突に私の背中を強く叩いたかと思うと、船の上にいるときと同じように、
明るく笑った。

「ちょっとー、こんなところで一緒になって暗い顔してちゃダメよ。
ほら立って!もっと背筋を伸ばす!よーし、なかなかいいわ。合格。じゃ、
そのまま回れ右してノーグへ出発ー!」

急き立てられて荷物を担いだ私は、娘に言った。

「あのさ、君から彼女に伝えておいてくれないか?」

「え?」

「“ゴールデンポニート号は最高だった”って。もちろん、2代目の船長もさ」

「・・・・・・バカね。あたりまえよ」

そう言って苦笑した娘は、指先で帽子のつばを引き下げてうつむいた。

私はふたりの船長に敬礼し、目的地へと続く道を、再び歩き始めた。